鍼灸というのは日本でむかーしから利用されている伝統医学だといわれてます。「伝統医学」というのも不思議な言葉ですが、それはここでは置いておきます。

どのくらい「むかーし」かというと、職業制度としての鍼師は、奈良時代よりも前、飛鳥時代にはもう存在していました。8世紀ごろの話です。

私はどちらかというと最新の研究で明らかになった鍼の作用などに関心がありますが、鍼灸、漢方などの「東洋医学業界」では古典を参考にする人も少なくありません。

そのせいでしょうか、鍼灸師には「職人」「仕事人」「伝統の担い手」というイメージがついてまわります。

何を隠そう、私もそういった側面にあこがれて鍼灸師になったクチで、いろいろな職人が書いた本、とくに法隆寺の宮大工だった西岡常一さんの本なんかを愛読していました(非常に面白いのでぜひ読んでみてください)。

ちなみに、自分が趣味で愛用しているギターも、天然木のハンドメイドに「こだわって」いるヤイリギターです。

昔から、そういった世界に入ってみたかったのですね。

 

そういった職人ワザへの憧憬から、治療院をつくるときについ使いたくなってくるのが「当院のこだわり」という言葉です。

ホームページを作ったときに、私も無意識のうちにそういう文言を書こうとしたことがあったのですが、やめておきました。

「こだわり」は漢字で「拘り」と書きますが、これは「拘束」「拘置」「拘留」「拘禁」「拘泥」の「拘」で、つまり「とらえる」「束縛される」という意味です。

何かにこだわって、それに徹することは立派なことですが、他の素晴らしいものや、可能性を見落とすことがあります。(「当院のこだわり」を掲げている鍼灸師さんも、別に「囚われたい」「束縛されたい」と思っているわけではないでしょうが)

たとえば、ずいぶん前にある鍼灸師の先生から「舌と脈を見ないヤツは、鍼灸師を辞めた方がいい」と言われたことがあります。

でも、世の中には舌も脈も見なくても、素晴らしい治療をする方がたくさんいますし、人の体は「○○をしなければ治らない」というものではありません。(複雑骨折などはさすがに手術をしなければちゃんと治らないと思いますが、それはまた別の話)

現に私は今も舌も脈も見ませんが、なんとか鍼灸師を辞めずに生きています。

人間の体は本当に個々人で違います。患者さんが求めているのは、自分に一番負担のない方法で、少しでも早く楽にしてほしい、という一点です。「○○でなければ」というのは患者さんにとっても、自分にとっても可能性を狭める考え方にしかなりません。

たとえば、鍼が苦手な人もいますし、刺激が大好きな人もいます。

自分自身がはり刺激をあまり得意ではないというのもあって、私は「痛くない鍼」をするように心がけていますし、ホームページにもそう書いていますが、なかには奇特な(褒め言葉です)患者さんもいて、ものすごく強い刺激が好きだという人もいます。そういう方にはある程度「痛い鍼」をします。

ですから「痛くない鍼」にこだわっている、というのでもありません。

 

開業鍼灸師、というのは、普通の勤め人にはない自由が得られる仕事です(別の面で不自由を背負い込むことになりますが)。

それなのに、わざわざ「こだわり」のなかに自分を追い込んで、余計な不自由を背負うのはもったいないと思うのです。

 

もちろん、自分が大切にしていること、心がけていること、というのは瞬間瞬間に存在します。「何がどうなってもエエわ。適当や」というのではありません。しかし、それはその瞬間のことであって、次の瞬間にもそうである保証はありません。

 

良いと思えるものに出会ったとき、素晴らしい人に出会ったときに、素直にそれを受け入れ、吟味し、教えを請える鍼灸師でありたいです。

ですから、いまは「こだわりたくない」と思っているかもしれませんが、「こだわらない」ことにもこだわりたくないので、こんなことを書いておいて、明日にはホームページに、毛筆体みたいな黒々としたフォントでデカデカと「当院のこだわり!」と掲げているかもしれません。そのときは笑ってやってください。

 

(この記事は、特定の治療院・鍼灸師のポリシーを批判するものではありません。念のため)