こんにちは!

鍼灸師界ナンバーワンの読書家、南天はり灸治療院の岡本です。
(客観的に検証できないので好き勝手を言っています)

今日はこんな本をご紹介いたします。

食事やセックスといった、即座に自分を快に導いてくれる行為は言うまでもなく、厳しいトレーニングをする人や勉強をする人も、その先に自分を気持ちよくさせてくれるものがあることを知っているから、あえてそのような苦行をするのです。

苦しみのために苦しもうとする人はいません。

その先の快感を目指しているから苦しむのです。

その射程が長いか、短いかという差があるだけです。

動物は筋トレも受験勉強もしません。

動物には「今ここ」しかないからです。

私たちの頭に本能のレベルでインプットされた快感のシステムの謎に迫るのがこの本です。

読んでいて興味深かったところを引用します。

神経のこのような[※依存症などの]持続的変化は、どうやら脳のほかの部分で記憶を貯蔵するときに用いられる、経験や学習による神経回路の変化とほぼおなじものであるらしい。〈記憶〉と〈快感〉と〈依存症〉はこのように密接に絡み合っている。

依存症というのは脳の学習なのです。

快感が私たちにとってこれほど力を持つのは、快感回路と脳の他の部分との相互連絡によって、記憶や連想や感情や社会的意味や光景や音や匂いで飾り立てられているからだ。

頭に電極を刺して、快感だけを引き起こしても、気持ちいいことは気持ちいいけど、味気ないのです。それは私たち人間が、どこまで行っても「物語」をもとめる生き物だからなのでしょう。

同じものを食べていても、良い雰囲気と険悪な雰囲気のときでは、食事で得られる快感は大きく異なってきます。

ただのタンパク質や脂肪の塊である「たくましい筋肉」とか「おっぱい」みたいなものに意味づけを行い、特殊な感情を呼び起こされるのが私たち人間です。

(私たちが囚われているその「意味」・「物語」の世界からの離脱を図るのが仏教の「悟り」です)

さまざまな依存症患者の中で、セックス依存症者は、他人に助けを求める可能性が最も低い。何と言っても私たちの大衆文化はセックスに大きく傾斜しており、誰もがいつでも最高のセックスができて当然だというメッセージを送り続けている。また、セックス依存症者はあまり同情されない。他人の性的行動については、私たちはそれが100%当人の意思に基づいた行動だと考えがちなため、素直に見られないのだ。これは悲劇的なことだ。

近頃、どこかの国ではやたらとセックススキャンダルが取り上げられて、よってたかって袋叩きにしてもいいという暗黙の了解ができあがってしまっていますが、それだって古今東西をつらぬく絶対的、普遍的真理ではない(別に推奨はしませんが)。

面白がってスキャンダルの当事者に群がっている人は、それをわかっているのだろうか。
(わかっていない、あるいはあえて目をそらしているからそんなことをするのでしょうけど)

サルの実験結果から導き出せる解釈の1つは、人間の脳はもともと、リスクのある出来事から快感を得るようにできているということだ。このモデルでは、ギャンブル好きになるのに初期の報酬は必要ないということになる。むしろ、見返りの不確実性そのものが快感を導く。

どうなっているのかわからないから惹かれる、ダメかもしれないと思うから行ってみたい、そんな衝動が私にもあります。

定期的なエクササイズは脳に多くの変化をもたらす。たとえば脳の毛細血管を伸ばしたり分岐させたり、一部の神経の樹状突起を幾何学的に複雑にしたりする。

体への刺激は脳を作り変えるのです。それならば、鍼や灸だって脳に変化をもたらすことになるはずです。

観念というのは依存性薬物と似たところがあるということだ。すでに見てきたように、ある種の向精神薬は、快感回路を「乗っ取り」、通常は食べ物やセックスなどで引き出される快感を呼び覚ます。しかし、進化上の新しい系統(霊長類や、おそらくは鯨類も)では、抽象的な心的構成概念が快感回路を働かせられるようになっているのである。その最たる例が人類だ。

情報や知識、社会的評価といった非物質的な頭の中でのフィクションで気持ちよくなれるのが私たち。

facebookとかで意識高いことを言っている人も、それが気持ちいいからやっているのであって、メシを食っているのとさして変わることはないということです。

そしてもちろんこんなブログを書いている私も、それが気持ちいいからやっているのです。

先日、患者さんにブログで書いた記事を賞賛される、という出来事がありまして、そのときに無上の喜びを感じました。

「あぁ、褒められている。承認されている。僕の快感回路が作動している」と自分の頭を観察していたのでした。

 

 

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中国語教室もやってます!

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