人間というのはどこまでいっても利己的な生き物で、自分がかわいくて仕方がないのですよね。

その一方で、他者を思いやる気持ちもあって、利己心とのせめぎあいが起こります。

「優しくなれなければ生きている資格がない」なんて、あまり優しくないセリフもありますが、自分以外の人にどうやったら優しくできるか、というのは生きる上での大きな問題であります。

私たちは「自分 vs 他人」という区分を設定し、実感しています。

しかしながら、よくよく考えてみれば、この世の現象というのはすべて、自分の感覚器を通して脳に描き出されたものです。

私たちは外の世界を認識して生きているように錯覚していますが、客観的な「外の世界」なんてものは存在しません。

光の加減ひとつでモノの見え方などいくらでも変わりますし、私たちには見えない赤外線も紫外線を、ヘビやチョウは感知することができます。

動物を含め、私たちは、自分の感覚器がキャッチできる情報だけを頭に取り込んでいます。

そして人間はさらにその中から自分に都合の良い情報だけを拾い出して、それを「世界」だと思っているわけです。

だから、機械の養分にこそなっていないでしょうが、映画『マトリックス』は別にフィクションでもなんでもありません。

目に入れても痛くない可愛いあの子も、憎いあンちくしょうも、みんなみんな自分の頭の中で作り出した登場人物です。

一本の映画の登場人物、一本のゲームソフトのキャラクターです。

大嫌いなあの人は、自分が作り出した世界のなかで悪役を演じているにすぎない。

自分が望んで作り出したわけではないけれど、あいつもこいつも、私自身の中にいる存在です。

つまり、自分自身なのですね。

胃の調子が悪くて、思い通りにならないからといって、自分の胃をいきなり切り取ったりしませんよね。

身の回りの「気に食わない人」「思い通りにならない人」も、それと同じだと考えることができるのではないでしょうか。

そう考えると、少しは他人のことを「許す」とはいかないまでも「ある程度認める」ということくらいはできるかな、と思っております。

この世に自分以外は存在しない、という独我論みたいな考え方ですが「世界には自分しかいないのだ」と考えるからこそ、目の前にいる(と感じられる)他人に対して優しくもなれるのではないでしょうか。