最近、Kindleで吉川英治の『宮本武蔵』を読んでいる。

井上雄彦の『バガボンド』を読んで話は知っているつもりだったが、原作と漫画はやはり大きく異なる。それぞれに違いがあってとてもいい。

いまはあまり使わないような日本語や文字遣いもところどころ出てくるが、少しも難しいところはなく、実に味わい深い。作者が目の前で大長編の物語を語り聞かせてくれるような文章。

こんな傑作が今は著作権切れになって、無料で、しかも手のひらに収まる機械で読めてしまうのだから、つくづく自分は良い時代に生まれ合わせたものだと思う。TPP発足で著作権の有効期限が延びるのには、やはり反対だ。

読んでいて涙が出そうになった箇所がある。主人公の武蔵と、幼なじみの又八が再会する場面。

同じ村で生まれ育ち、互いに何者でもない青年だった二人。しかし、武蔵は厳しい修行を重ね、著名な剣術家も倒してどんどん名を上げていく。一方の又八はというと、生来の怠け癖とずるさがわざわいして、くすぶりつづける毎日を送り、別れてからの5年間で武蔵とは地ほどの差ができてしまっていた。又八は、幼なじみの出世に嫉妬の炎を燃やし、見当違いの怨恨さえ抱く始末(武蔵は出世とも何とも思っていないのだけれど)。

そんな又八に対しても、天涯孤独の武蔵にとっては数少ない幼少期からの友人、親友として叱咤激励の言葉をかける。

 

おれは、友達として頼むのだ。同じ郷土で育ったのだ。……なあおいっ、関ヶ原の合戦を望んで、槍を担いであの村を出た時の気持を、もいちどお互いに呼びかえして、勉強しようじゃないか。合戦は今、どこにもなく見えるが、関ヶ原の役は熄(や)んでも、平和の裏の人生の戦はあんなものどころか、いよいよ修羅と術策の巷を作っているのだぞ。その中で、克(か)ちきる道は、自分を研(みが)くことしかない。……なあ又八、もいちど槍を担いで出かける気で貴様も、真面目に世の中と取ッ組んでくれよ。勉強してくれよ、偉くなってくれよ。貴様がやる気ならおれもどんな力でも貸す、貴様の奴僕(ぬぼく)になってもいい、ほんとに貴様がやるという誓いを天地に立ててくれるならば――」

 

もちろん物語は武蔵の願うように順調には運ばないのだけれど…

人間同士というのはどうしてもお互いを比べて、上だ下だとやってしまう。昔からの友人同士であればあるほど、かつてただの学生だった頃を思うと、相手が立派になってしまって、引け目を感じてしまうことがある。そういった意味で、どうしようもないキャラクターの又八であるが、弱い自分を重ね合わせてしまう。

武蔵のような一方的な思いであっても、「偉くなってくれよ」「貴様の奴僕になってもいい」と思えるような友達が持てることは、人生における「友達づくり」という「課題」を達成した形の一つだと思う。

そして、単に友達があるということだけではなく、相手にそう思えることは、やはり自らの道で妥協のない研鑽を重ねられているからでもあるだろう。

栄達を心から願えるような友達を持つこと、それを思いやることのできる己の心を磨くこと。

友達をどう作るのか、どう付き合うかというのは、自分をどうするか、どんな自分にしていくのかという問題でもあるのだと思う。