大学生の頃、ギターを習っていた。

教室は須磨の海の近くにあって、先生は自分より10歳くらい年上の男の人だった。
私は貯金をはたいて買ったK.ヤイリのギターを背負い、カブに乗って、自宅から15分くらいの教室に通っていた。
先生はいろいろなところで演奏活動をしながら、教室でギターを教えるという生活をしていた。

今から考えると、マンツーマンなのにものすごく安い月謝で教えて頂いていた。
レッスンは月3回だが、それ以外にもコンサートに一緒に行ったり、発表会に出してもらったり、食事に連れていってもらったり、お風呂屋さんに行ったり、家に泊めてもらったりと、まるで弟のようにかわいがってもらった。

当時の私は、自分が将来何をすればいいのか、何をしたいのかもよくわからず、鬱々としていて塞ぎこむことが多かった。二十歳頃は本当に毎日が暗闇の中で、何もかもうまくいかない気がして、レッスンでもよくムスッとしていたのを覚えている。今思えば恥ずかしい限りだが、それでも先生は根気よく付き合ってくれた。

自分が何がしたいのかもよくわかっていなかったのだが、「何かのプロになって、独立して生きていきたい」という思いだけがあった。
それが中国語なのか、ギターなのか(無理だということはわかっていたけれど)、また別の何かなのかはわからない。
一時期は、昔住んでいた三木市(金物が有名)に行って、刀鍛冶になろうか、と考えたことすらある。
ジュンク堂で、刀鍛冶に関する本を探して読みふけっていた。
とにかく、個人で生きていきたい、とだけは思っていた。

そんな私にとって、先生の生き方はとても素敵なものに映った。
ギターでご飯が食べられるというのは、ごく一握りの人だけが叶えられる、小さな小さな夢のようなものだと思っていたからだ。そんな人が、当たり前のように目の前にいる。
もちろん、音楽家として生きていく大変さは、何も言われなくても何となく伝わってくる。甘い道ではなさそうだ。
でも、こんな風になれたらいいな、と思っていた。

そんなある日、先生にこんなことを言われた。

「おかちゃん(こう呼ばれていた)。自分の好きなことをして生きていこうとしてたら、誰かが応援してくれるで。おれも勝手にこうなっていったもん。金は後からついてくるから絶対大丈夫やで」

ギタリスト、という生き方を現実のものにしている先生にそう言われて、

「あ、そうなんだ」と思った。若者は単純だ。「大丈夫なのか」

「よし、きっとそうしよう。好きなことを仕事にしよう」と決めた。

あれからちょうど10年が経とうとしている。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、私は今、鍼灸師という仕事をしている。当時の自分が聞いたらびっくりするだろう。なんでなのか。そして、中国語の教師も。鍼も中国語も、それで人様からお金を頂いている。プロといわねばなるまい。

本当に、周りの人が応援してくれている。いつも、思わぬところから救いの手というのは来るものだ。
夢を叶えたというにはまだまだ遠すぎるけれど。

先生の生き方の大変さも、今なら少しはわかる。
自分のために結構無理してくれていたんだなあ、とも思う。

これから先、自分が教える生徒が、同じようなことを言ってきたら、やっぱりこう言ってやろうと思う。

「誰かが応援してくれるから大丈夫やで」と。
少なくとも私は応援しているから。

金が後からついてくるかどうかは、自分が実証していないので、まだ言わないでおくが。