いろいろと勉強したいことがあって、「こんな教室行ってみたいな」と思いながらホームページを探したりしている。

今、関心があるのは、ある外国語の教室と、ギター。あと、絵画教室にも気になるところがある。

でも、今は仕事や研究が素晴らしく立て込んでいるので、実際に行けるようになるのはずいぶん先のことになるだろう。

自分だったらどんなところに通いたいかを考えて、サイトを眺めてみる。

大手が全国的に展開しているようなところは、講師の質が保障されていると思うけれど、ちょっと避けてしまう。天の邪鬼だろうか。

通うならば、個人がやっているような小さな規模のところがいい。

都会の片隅(もちろん、都会のど真ん中、駅から徒歩1分だと助かるのだけれど)に教室を構えて、小さな教室なりの矜持をもってやっているところがいい。自分の腕前とこれまで築き上げてきた信頼で、世間の大海に立ち向かっているような。

自分がそんな規模の治療院や中国語の教室をやっているから、同じようなところを探してしまうのだと思う。(大海には立ち向かわず逃げている)

ウェブサイトも、みっちり作り込んでいて開いた瞬間にFLASH(古いか?)がシュゴーっとなったりスマホ表示も完全対応、というところではなく、ちょっと字がずれているようなところに親しみを感じてしまう。「サイトって大変だよね」というシンパシーを覚える。

自分がこうしてサイトに自己紹介を載せているから、プロフィールを「盛って」いる人のこともわかってしまう。あまりそういうところには近づかない。教室でも、治療院でも。

行ってみたいところはいくつか候補を持っていて、いつかお邪魔する日を夢見ている。

縁があるかもしれないし、もちろん気が変わってしまってそのまま忘れ去っていくこともあるだろう。

 

この治療院のサイトも、そんな気持ちで眺めている人がいるのだろうか。

「興味はあるけど、こわいナ」

とか、

「今は別に調子が悪いわけではないけれど、悪くなったらいこうかナ」

とか、

見るともなしに見ているのだろうか。

 

治療院を訪れるということは、だいたいが不幸な状況に陥っているということなので、縁がなければそれに越したことはない。

でも、それでも、

やむにやまれず、

イヤだけど、

コワいけど、

謎だけど、

つらいから、

仕方なく、

渋々、

重い腰を上げて、

家族に追い立てられるようにして、

すくむ足に鞭打って、

インターホンの前で30分くらいためらって、

ピンポンを押したけどつい逃げてしまって、

それでも戻ってきてもう一度押して、

やっとのことでうちの治療院に来られるようなことがあるかもしれない。

そんな患者さんは、まさに僕自身である。

自分自身を治療するようなものだ。一生懸命診ないわけがない。

 

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