私は今、個人事業主という立場にある。

 

誰にも給料をもらっていない。上司も部下もいない。市場に評価してもらって仕事を受け、理論上は休みたいときに休み、働きたいときに働くことが可能だ。満員電車に揺られる必要もない。

 

それは「自由業」と呼ばれるもので、その対局にあるのは「組織に属す」ということだろう。「自由業」とはその名のとおり、さぞかし自由なのだと思う。自分でもときどき、そう思う。

 

しかし、こうも思う。

 

自由業に就いていることが、すなわち自由を意味するのだろうか、と。

「資金繰りとか、どうやって仕事を増やすのか、とか、自由業には自由業なりの不自由があるのだ!」といいたいわけではない。もちろんそれも自由を阻害する要因ではあるけれども。

組織に属すことの面倒さを避けて、自由業に就く。それは組織というものを忌避している、要するに意識しているのだ。意識して、それを忌避することは自由だろうか。

例えば、虫が嫌いだから虫除けスプレーを使う、バルサンを焚く。

これは虫から自由だろうか。違う。

虫が来ても平気で「あ、虫や。カマキリや。おっ、肩に乗ってきよったわ。ハハハ」と笑っていられる方が自由だ。

 

「私ってぇ、個性的な人だからぁ、人と合わせられなくってぇ、やっぱ自由が一番だしぃ」というのは自由ではない。それは「自由業」という形態でないと生きられない、不自由な人なのである。

 

正岡子規は「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」と言った。

どんな場所でも平気で働いていられる人こそが、真の自由業者だと思う。そういう人を今まで何人か見てきた。素晴らしい人たちであった。

 

かつて大小の組織に属し、「自由になりたいな」という思いで自由業を選んだ私は、そういった意味ではとくに自由ではないな、と思う。