先月から武術の練習に参加させていただいています。

まだ数えるほどしかやっていませんので、何かができるようになったというにはほど遠い状態です。

いまはまったくの初心者として、ただただ先生が語り、見せてくれる武術の体さばきの妙技にうならされ、感心するばかりです。

どんな分野でもそうですが、初心者のうちは何をしても新鮮で楽しく、視界がひらけるような感覚を抱くものですから、いまはそれを素直に楽しむようにしています。

武術を学ぶのは「治療に活かしたい」という“下心”があってのことなのですが、それでなくても人間の体というのは意識の持ち方、イメージの仕方次第でこんなにも変わるものかと、驚きを禁じ得ません。

意識の持ち方、イメージを変えるだけで、大人の男二人に押さえつけられても態勢を崩さずにズンズン歩いたりできるようになってしまいます。

自分の知るかぎりの世界に閉じこもって、書籍だけを相手にしているだけでは決して到達できない領域を見せてもらっています。

例えば、空手の突き(要するにパンチ)、という動作ひとつにしても、注意して観察すると、腕はマジンガーZのロケットパンチのように単に真正面に向かって直線軌道で進むのではなく、前腕(肘から手首まで)の回転運動を含む螺旋を描いていることが見えてきます。

腕だけでなく、そのような、「直線+円=螺旋」の軌跡を描いて、人体はさまざまな動作をこなしています。

そして、「そうなってるんやなー、ふむふむ」とアタマで理解するだけでは、まったく何もわかっていないのと同じで、自分で実際にできるようになって初めて「腑に落ちる」という体験を得ることができます。

僕は、相手の攻撃を受けるために腕を挙げる、という基本動作すら、いまだ「型」として身につけていないのですが、たまたまうまくいって動作がピタッとハマったときには、両腕と体がひとつになって協働しているという感覚が生まれます。

まるで、両腕が井戸のつるべと化したように、互いの連動によって必然的な位置に収まるような感覚で、「あっ、コレかな?」と感じることがあります。(すぐにそれは空中分解してバラバラになってしまうのですが…)

そして何より不思議なのは、合理的で無駄がない動きに「美」を感じる人間の感性です。

どれだけ力強くて素早い動きでも、バランスや合理性を欠いた動きには私たちは美を感じません。

関節の方向、角度、動作の目的などの関数によって導きだされた「そうなるより他ない」という動きは、武術のことなど何もわからない人の目にも「美」を感じさせます。

一体、なぜなのでしょうか。

人は、生まれながらにして理想の形を知っているからこそ、そのような美を覚えるのでしょうか。

そんなことを考えると、「イデア」というものの実在を感じざるを得ません。

忘れないように、その日に習ったことをノートにまとめています。

 

 

 

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中国語教室もやってます!

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