わたしは鍼灸師を職業としていますが、一方で中国語の通訳/翻訳者・講師でもあります。

よく「どっちが本業なんですか?」

とか、

「なんでなんですか?」

と月に2、3回は尋ねられます。

成り行き…としかいいようがないのですが…

どっちにも首を突っ込んでしまっているため、鍼灸業界の人にも、中国語業界の人にもときどき白い目で見られているような気がしているのですが、わたしの妄想でしょうか。

 

わたしがこのふたつが大好きでやめられないのは、どちらも「自分にいちばん身近なものであるにもかかわらず、いちばんよくわからないもの」だからです。

自分の体は自由に動かすことができますが、それがどのようなしくみではたらいているのか、本当のところはわからないことばかりです。

傷の消毒のことやコレステロールのことなど、昨日常識だったことが、明日にはひっくり返ってしまう、そんなことばかりです。

同じように、誰もが言葉を自由に使っていますが、それがどのようなしくみで成り立っているのかは、わからないことだらけです。

どちらも空気のように当たり前に存在するからこそ、いざそれを外から見ようとすると、とてつもない困難がともないます。

 

先日、武術の先生に

「極意とは、己が睫(まつげ)のごとくして、近くにあれど見つけざりけり」

という言葉を教えてもらいましたが、まさにこれです。

 

医療の人と語学の人、どちらにも共通しているのは、自分の住み慣れた当たり前の世界から首一つ突き出して、もう一度そのあたり前の世界を点検しなければならない、という点です。

そしてそれは本当に面白い営みなのです。

 

わたしはどちらかというとインドア派なので、ヒマラヤにも深海にも宇宙にも行くことはないでしょうが、「体」と「言葉」という、もっとも身近なフロンティアで、ずっと「遊んで」いることができます。

だから当面は「あいつは欲張りやなあ」と白い目でみられつつも、どちらにもしつこく関わっていようかな、と思っています。

 

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中国語教室もやってます!

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