ある朝、わたしは用事があって電車に乗っていた。

わたしは車両の連結部に近い4人がけのシートに腰掛けていた。向かい側は優先席だ。

朝の時間帯ということもあって、車内はそれなりに混雑していた。すし詰めというほどではなくて、つり革が余るくらいの混み具合だ。

電車が駅に滑り込み、扉が開いた。

わたしの斜め向かいの扉から、背の低い老人が乗り込んできた。男性である。

足があまり良くないのか、乗り込むのもやっとという感じで、後がつかえていた。

老人は目がよく見えていないらしい。片手に杖を持っていたが、それは盲人用の白杖(はくじょう)だった。(「白杖」という言葉はこの記事を書くためにさっきググって調べた)

電車に乗り込んだ老人はおもむろに手を横に伸ばし、左側の座席をさぐりはじめた。一瞬、何をしているのかがわからなかったが、老人は、座席が空いているかどうかを手探りで確認しているようだった。

あいにく、老人が探っている座席は満席である。わたしから向かって左側、ドアにいちばん近いところに座っているのは学生風の女性だった。イヤホンで音楽を聴いていて、目をつぶっている。その足に老人の手が触れた。女性はぎょっとして老人の方を見ると、身を固くした。

人がいることを確認すると、老人の手は右側へ滑り、隣に座っている会社員風の中年男性の足に触れた。この男性もイヤホンをしていた。目をつぶっていたかどうかは覚えていないが、老人に触れられたときの反応は女性と一緒で、ぎょっとして身を固くした。

席を立とうとする人は誰もいない。

座ることを諦めてしまったのか、老人は手探りをやめ、ドアのある方へ引き返すとそのまま立っていた。「いっぱいか…」とかなんとかつぶやいていた。

向かいの席で一部始終を見ていたわたしは見るに見かねて立ち上がり、老人の方へ歩み寄り、声をかけた。

「よかったら座ってください」

反応がない。

どうやら老人は耳も悪いらしく、わたしの声が届いていなかった。

わたしは老人の肩をポンポンと叩いて、少し大きな声で「あっち座ってください」と言った。

わたしの存在に気づいた老人は、さっき自分が触った女性と男性と同じようにぎょっとして身を固くしたが、どうやらわたしの言っていることを悟ったらしい。「あ、あー」と言うと(はっきり聞き取れなかったが)「そっちは優先ちゃうから」というようなことを言って、わたしの申し出を断った。

わたしも立ってしまった手前、引き下がるわけにもいかない。それでも、空いてる席を探していたくらいだから、座ってもらったほうがよろしかろうと思い、「いいからいいから!」と言ってさらにすすめた。また遠慮する老人。これが何度か繰り返され、老人はようやく折れて、席に座ってくれた。

面の皮厚めのわたしも正直ちょっと恥ずかしくて、老人に背を向けて窓の外を見るふりをした。

 

この国には「車内で人に座席譲らない現象」というものがある。

そして「どうぞ」と言われた人が「譲られた座席に座ろうとしない現象」というものがある。

「座席を譲らない人」は、たぶん人前で大きな動きをしたり、声をかける、という行動に大きな抵抗を感じるのだろう。

そして「譲られた座席に座ろうとしない人」は、自分のためにわざわざ譲ってもらうことに申し訳なさを感じるのだろう。

遠慮の美学、ともいえるものかもしれない。食事を奢られそうなときに、とりあえず払う素振りをみせる、というあれである。

この国の人は別に心が冷たいわけではなく、人前で何かをすることがあまりにも恥ずかしく、人に何かをしてもらうことは迷惑をかけることだと考えてしまうがために、このような現象が起こってしまうのだと思う。

目の前にふらふら歩いている老人やけが人、妊婦その他が現れて、心がざわめかないわけではない。(たまに何も考えていないアホもいるが)

譲る側は行動を起こすのが怖いし、譲られる側は自分が人の安楽な空間を奪ってしまうことが怖い。

そして譲る側にはたとえ行動を起こしたとしても、自分の申し出が断られてスゴスゴと席に戻る、という悲しい結末が待ち受けていたりする。誰も得をしない。

電車の中がもっと温かな空間になってくれたら嬉しいのに、と思う。